イエスは勝利者だ

~ブルームハルト影響小史~

  著 齋藤真行

 

 

はじめに

 

第一章 ヨハン・クリスフ・ブルームハルト

1 「戦い」とその実りの素描

2 父ブルームハルトにおける「客観性」

 

第二章 クリストフ・リードリヒ・ブルームハルト

1 子ブルームハルトにおける父の業の継承

2 子ブルームハルトにおける「客観性」の展開

 

第三章 エドアルト・トゥルナイゼ

1 トゥルナイゼンとブルームハルト父子の関係

2 トゥルナイゼンにおける「客観性」の契機

 

第四章 ール・バルト

1 カール・バルトとブルームハルト父子の関係

2 カール・バルトにおける「客観性」の契機

 

おわり

 

 

 

 

 

 はじめに

 自分の信仰歴のはじめ、洗礼を受けてから一年半の間、私は疑いと悩みのなかにいた。当時の私の問題は本書との関係でいえば、主観的な信仰と客観的なイエス・キリストの業に関わるものだった。

このときの経験のなかで、私は自分の主観というものがいかに当てにならないものか、ということを嫌というほど思い知らされた。この疑いと悩みの時期から私を解放してくれたのが、イエス・キリストの業の客観性は私の主観に関係なく揺らぐことがない、という事実を知らされたことだった。私はこの解放をカール・バルトの著作を通して経験した。

自分の信仰がどのように疑いと悩みに翻弄されようとも、キリストの十字架の御業はすでに確立されており、私の罪や疑いによっては変更され得ないものだ、という事実が、自分自身の信仰の不安定さを支えてくれた。

このとき以来、「客観的」という言葉は私の神学的な歩みにおける一つの大きなモチーフになった。自分の主観的信仰がいかに客観的でありうるか、という問題が私の根本問題であった。

引き続きカール・バルトに触れることを通して、バルト神学が前提としている大きな要素のなかにこの「客観的」ということがあることに気づかされた(もっとも、バルト神学においては、「客観」という言葉よりも「事柄」という言葉がより多く用いられてはいるが)。この道をたどっていくうちに、私は井上良雄の著したブルームハルト父子の伝記に出会うこととなった[1]

ここでブルームハルト父子の生涯に接したとき、私はカール・バルトのなかに見、そしていまだ探していた信仰における「客観」の起源を見出した、という大きな驚きと喜びを感じた。そこに横たわっていたのは、想像を絶する奇妙な、そして感動的な出来事だった。

本書においては父ブルームハルトが見出した神の「客観」、「事柄」が、いかにその子に継承され、そしてトゥルナイゼン、カール・バルトへと受け継がれてゆくかを概観してみたいと思う。

私自身の歩みに即して言うのならば、私はバルトにおいて「客観」概念に出会い、そこからさかのぼって父ブルームハルトに至った。私自身の抱く「客観」概念はバルトのものに最も近いであろう。バルトと父ブルームハルトの「客観」概念の間には、ニュアンスの違いがあることはもちろんである。バルトのほうは、その「客観」概念は神学的に徹底して展開されたものであるし、バルトにはブルームハルト以外の要素もまた流れ込んできているので当然である。ここでは、父ブルームハルトからの流れをたどることによって、父ブルームハルトにおける「客観」が歴史を通してどう展開されていったのかを跡付けることを試みる。

まず始めに「客観」概念を確定してそれに基づいて歴史をたどるというよりも、歴史をたどっていくなかで「客観」概念の変遷と内容が明らかになってゆく、というように論述を進めたいと思う。

 

 

 

第一章 ヨハン・クリストフ・ブルームハルト(1805‐1880)

 

 1 「戦い」とその実りの素描

 

 ヨハン・クリストフ・ブルームハルトは1805年7月16日にビュルテンベルクのシュトゥットガルトで生まれた。父はパン職人、穀物商をやったのち、ブルームハルトが生まれた頃は木材の計量を仕事としていた。母は仕立て屋の娘であった。父は敬虔主義のサークルに属しており、ブルームハルトはこの敬虔主義の雰囲気と環境のなかで成長した。この敬虔主義の特徴が、いわばその「主観性」にあることはよく知られている。ブルームハルトの育った環境がそのようなものだったことは、のちの彼の歩みと比較すると興味深いものがある[2]

 やがてブルームハルトは14歳で堅信礼を受け、ギナジウムを終える。次に4年間、シェーンタールの神学校で学び、テュービンゲンの上級神学校に進学、1829年に卒業する。その後デュンメルツ、バーゼル、イプティンゲンで牧師をする。そして、メットリンゲンに招聘されてやってくるのである。こここそが、ブルームハルトの全生涯を決定した奇妙かつ感動的な「戦い」の舞台である。

 メットリンゲンの教会の状態は悪かった。前任者のクリスティアン・ゴットローブ・バルトの時代から、なにを語りかけても、まったくなんの変化も見られないような状態が続いていた。ブルームハルトはここで素朴かつ献身的に奉仕するが、根本的にはこれといった変化が見られないまま時が過ぎていく。

この村にゴットリービン・ディートゥスという少女が住んでいた。この少女は非常に霊的な感受性が強く早熟であった。幼い頃から、いろいろ不思議なことを経験していた。ある日教会に近い家にこの一家が引っ越してきたのだが、その初日から、異常な出来事があいつぐようになる。突然ゴットリービンが発作に襲われて倒れる。物を叩くような、奇妙な音が聞こえてくる。椅子が飛び上がる。窓が震える。この事態は時を経るごとに異常さを増すようになる。彼女は何ものかに取り付かれて、うわごとを言うようになる。そして、死んだはずの女性の姿を見たりしさえする。

これらの出来事は、ゴットリービン自身の主観的な妄想ではなく、そこに立ち会った人々がみな一様に経験した客観的な出来事だったのである。ゴットリービンの容態は悪化していった。ブルームハルトは、これが単なる心理的なものではないことを認めざるをえなかった。

 そして、ブルームハルトとこの事件にとって第一の転換点がやってくる。

 

「日曜日の夕方、私はまた彼女のところに行った。彼女の友人も何人か、そこにいた。私はだまって、恐ろしい痙攣を見ていた。私は、少し離れたところに坐っていたが、彼女は腕をよじり、頭を脇の方に曲げ、からだを高く上の方へ彎曲させていた。その口からは、泡が度々流れ出て来た。これまでの経過から見て、そこには何か悪霊的なものが働いているのだということは、私には明瞭だと思われた。私には、これほど恐ろしい事態の中で、何の手段も助言も見出せないということが、苦痛であった。そのようなことを考えている間に、一種の憤怒が私を捉えた。私は、飛び出していって、彼女の硬直した手をつかみ、その指を、無理矢理に、祈るときのように組み合わさせ、意識を失った状態ではあったが、その耳に向かって、彼女の名を大声で叫んで言った。『手を合わせて、主イエスよ、助けてくださいと、祈りなさい。私たちはずい分長い間、悪魔の仕業を見て来た。今度は、イエスがなさることを見よう』。――すると、それから間もなく、彼女は覚醒し、私が言った祈りの言葉をくり返し、痙攣はまったく止んだ。それは、その場にいた者たちにとって、非常な驚きであった。それは、この問題のための活動へと、私を抗し難い力で投げ入れた決定的な瞬間であった[3]

 

  この転換点を迎えてより、ブルームハルトはいわば「戦い方」を学んだ。ブルームハルトはいつも「み言葉と祈り」をもって、この悪霊的なものと戦った。

しばしば、悪霊的なものは優勢となった。ゴットリービンは血を大量に吐いたり、悪霊が彼女の口を通して語りさえした。しかし、イエスの力は確実に彼女に働きかけていた。ブルームハルトが祈ると、彼女の異常な状態は軽減されたり、一時的に消えたりすることがあいついだ。

 そうした戦いのなかで、悪霊が彼女のうちから外に出て行く、ということが起こり始めた。このとき、ブルームハルトは悪霊と対話したりしている。そして、ついに戦いは最後の瞬間を迎えることになる。ゴットリービンを襲っていた力は、彼女の兄のゲオルク、姉のカタリーナにまで及んだ。そのときの戦いはブルームハルトがこれまで経験したことがないほど、激しいものだった。

「勝利か、さもなければ死か」という状況だった。1843年12月27日から28日にかけての真夜中頃、予期しなかった出来事が起こった。

 

「すると、娘(カタリーナ)の喉から、何度か、恐らく十五分位続いたであろうが、絶望の叫びが発せられた。それは、そのために家がこわれると思われるほど震撼的な強さを持つ声であった。私は、それ以上に恐ろしいものを、考えることはできない。……やがて遂に、もっとも感動的な瞬間が来た。それは、それを目で見、耳で聞いた証人でなければ誰も十分に想像できないような瞬間であった。朝の二時に、娘は頭と上半身を、椅子の背にのけぞらせていたが、『サタンとなった天使』と称するものが、人間の喉から出るとは思えない声で、『イエスは勝利者だ。イエスは勝利者だ』と、吼えるように叫んだ。この言葉は、それを聞いた限りの人々に理解され、忘れることのできない印象を与えた。――やがて、悪霊の威力と力は、一瞬ごとに奪われてゆくように見えた。悪霊は次第に静かになり、おとなしくなり、次第にその運動が鈍くなり、ついにはまったく認めることができないほどに消滅してしまった。それは、瀕死の人の生命の光が消えてゆくのと、同じであった。しかし、それは、ようやく朝の八時ごろのことであった[4]

 

 この後、異常なしるしは消えてゆき、ついにはもうそれらが戻ってくることはなかった。こうして、ブルームハルトの「戦い」は終わることになる。ゴットリービンはブルームハルトの家庭で働くようになり、最良の協力者となる。だが、この戦いはブルームハルトにとって、一つの始まりに過ぎなかった。こののち、この戦いの「収穫」の時期がやってくるのである。

 1844年に入った新年の時期、メットリンゲンにおいて放蕩で有名な若い男がブルームハルトを訪ねてきた。

 

「おれは悲惨な状態なんだ! 昨日おれは地獄にいた。そこで、そこから再び出るには、牧師に会いに行く以外にない、と言われたんだ[5]

 

ブルームハルトは彼のことがまだ信用できなかったが、彼の頭に手を置き、いくつかの祝福と慰めの言葉を与えて帰した。そのことは彼を目に見えて慰めた。二日後、この男はまたやってきた。そして、誠実に罪を告白した。彼は完全な平和が与えられるために、公式に自分に罪の赦しを与えてほしい、と願った。ブルームハルトは手を頭に置き、罪の赦しを宣言した。彼が立ち上がったとき、彼の顔は感謝と喜びに輝いていた。

ブルームハルトはこう記している。

 

「私はこの赦免がこの男と私とに与えた印象のことを忘れることができない。言葉で言い表しえない喜びが彼の顔に輝いていた。私は聖霊の力が働くまったく新しい領域に引き入れられたことを感じた。[6]

 

これがブルームハルトにとっての第二の転機であった。

あの男は翌日、自分と同じ状態になっている友人を連れてきた。そして、彼もまた赦免を受けてまったく回復させられた。この波は、次第に高まってゆく。朝の8時から夜の11時まで、人々は罪を告白して赦しを得るために、ブルームハルトのもとに押し寄せてくるのである。

これが「戦い」の実りであり、次第に拡大してゆく信仰覚醒運動へと発展するものである。この運動のなかには「奇跡」が現われる。リューマチ、障害、その他さまざまな病気がブルームハルトの説教や祈りを通して癒される、という出来事があいつぐのである。しかしこれらのことは同僚の牧師たちの反感を買い、後にブルームハルトはメットリンゲンではもう仕事ができなくなり、バート・ボルへと移転することになる。

 以上が、ブルームハルトの「戦い」とその「実り」の素描である。

 



[1] 井上良雄 『神の国の証人ブルームハルト父子』 新教出版社 1982

[2] Ibid.,31-42

[3] Ibd.,74p.

 Friedrich Zuendel ,the awakening one man’s battle with darkness 36p

Friedrich Zündel ,Johann Christoph Blumhard  122-123s.

 

[4] 『神の国の証人ブルームハルト父子』85

 the awakening  59p

  Johann Christoph Blumhardt  147-148s

[5] 『神の国の証人ブルームハルト父子』101

the awakening p70

Johann Christoph Blumhardt 156s

[6] the awakening 72p

  Johann Christoph Blumhardt  157s