リアル・ポジティブ!

~「ネガティブ」を引き受けよう~

                齋藤真行

 

目 次

 

 

1 「ポジティブ思考」の落とし穴

 

2 「ネガティブ感情」とどう向き合うか

 

3 「ネガティブ増幅装置」を手放す

 

4 ネガティブ感情を解消する方法

 

5 「ポジティブ思考」最大の難問

 

6 ネガティブを引き受けるポジティブ

 

7 社会的ネガティブの解消方法

 

8 本物のポジティブ思考へ

 

 

 

 

 

 

 

 序

 「ポジティブ思考」が世の中に広がってから、相当な時間が経過しましたが、なおその勢いは次々に形を変えながら衰えることがありません。

 

 多くの人々がひきつけられており、実際にポジティブ思考によって「人生が大きく変わった」と証言する人々の声を聴くと、この思考法の有効性については、ほぼなんらかの妥当性があると考えていいのではないかと思います。

 

 つまり、「自己啓発書」で語られている以下の「法則」には、真理があるということです。心の態度として、自分の歩みの現在や将来についてポジティブ(前向き・建設的)な思いで取り組んでいる人は、結果としてポジティブな状況に恵まれるようになり、逆にネガティブな心的態度で接してばかりいる人は、ネガティブな状況に巻き込まれるようになる、ということです。

 

 これはある意味、ごく常識的に理性を働かせるだけで、納得できるものです。

 

 ある会社に二人の社員がいるとしましょう。一人は毎朝早く出社し、同僚を迎えて大きな声であいさつし、うれしそうな顔で仕事する。もう一人は二日酔いが抜けないような冴えない顔で出てきて、仕事中に愚痴や悪口を言っている。そうした二人を上司や社長が見かけたら、どちらにもっと大きな仕事を任せるかは、考えるまでもないことです。

 

 課題に取り組むときに、嫌々な態度で文句ばかり言っている人と、成長して貢献しようとする熱意をもってする人とでは、当然与えられる結果に違いが出てきます。ごく当然のことです。

 

 だから、「ポジティブな思考がポジティブな態度と行動を生み、それがよりよい状況と環境になっていく」というのは、正しいといえます。実はこの教えは世界のどんな宗教においても主張されているところであるともいえます。仏教の経典でも、聖書でも、コーランでも、「よい思い、言葉、行いはよい結果を生む」という人生論的な「法則」は、表現は異なりますが、何度となく語られているメッセージです。

 

 本書で取り上げたいのは、この法則の妥当性ではありません。そこには、ほぼ疑問はありません。むしろ、議論の焦点としたいのは、実践的に「ポジティブ思考」で生きようとしたときに生じてくる、思いがけない「落とし穴」のことです。

 

 この「落とし穴」については、「自己啓発書」で主張されている方法論では、避けることが難しいということです。このような落とし穴に落ちずに、「本当のポジティブ思考」で生きるためにはどうすればいいのか、という課題を描いています。

 

 ぜひ、最後までお付き合いください。読者の皆様が「偽ポジティブ」から脱却し、「リアル・ポジティブ」の世界を生きて頂きたいと願うものです。

 

 

 

1 「ポジティブ思考」の落とし穴

 

 「ポジティブ思考」ということで言われていることを、ごく単純にまとめると、以下のようになります。

 

 「ポジティブな思考を意図的にし続けることによって、人生の状況、環境はよりよいものになっていく」

 

 これは、まったくその通りと言えます。前向きで建設的な思いを抱き続けることができる人がいるなら、その人はよりよい人生の状況を享受していくでしょう。

 

 しかし、上の事柄を、より詳細に理解すると、そこには大きな問題があることに気づきます。その点を描いてみましょう。

 

 「ポジティブな心的態度を持つ」という最初のところは、「自分の意志の力」ですることになります。精神的、身体的状態がよい時や、周囲の環境に恵まれているときは、ポジティブな思いを持つことは難しいことではありません。

 

 しかし、たとえばインフルエンザにかかって食べ物も喉を通らないとき、ポジティブになるのは非常に困難です。

 

 仕事で大失敗して多くの仲間に非難されたときも、ポジティブになるのは難しいでしょう。

 

 多くの人が自分の悪口を言っていることに気づいたとき、ポジティブにそれを理解するのは至難の業です。

 

 つまり、ポジティブ思考を抱くとき、「よし、前向きになろう」と最初に自分自身で「意志」する必要がありますが、それは「周囲の環境」がネガティブな状況であればあるほど難しいということです。

 

 私たちの意志は、周囲の環境や他者の意志に対するリアクションとして、働くものである面があります。自分自身を起点として意志することもできますが、周囲に影響され、周囲からの圧力や言葉かけのなかで、働くものでもあります。

 

 そして、私たちにとって周囲の状況のネガティブな度合いが強ければ強いほど、それに対してポジティブな態度を持つためには、より強い「意志の力」が要請される、ということです。

 

 ところが、この「意志の力」は、諸条件によって容易に左右されるものです。空腹を覚えてなにか食べたくて仕方ないというだけで、意志の力は弱まります。寝不足になるだけで、意志は力を失います。また、自分の身に起こった嫌な出来事を思い出しているだけで意志が萎えてくることもあります。

 

 以上のことを考えると、私たちがポジティブな心的態度を持つことができるのは、諸条件が整ってそれが可能になったときだけであって、永続的に持つことは超人的な意志の力を必要とするため、ほぼ不可能であることがわかります。

 

状況が非常にまずいものになったときは、それをはねかえすことができることもあれば、条件が整わずにそれが無理になることもあるでしょう。

 

 ポジティブ思考は私たちの「意志の力」の強弱と諸条件に依存しているという意味で、常に不安定なものだと言わざるをえません。

 

 恒常的にポジティブでいることができる人は、だれもいないのです。どんな人も、自分自身や周囲の状況や環境、他者の状況などの諸条件によって制約されており、自由かつ無制限に意志の力を使うことができる状況にはないからです。

 

 私たちが抱くことができるポジティブ思考は、断続的で断片的なものであらざるをえないということです。

 

 ここから、非常に重要なことが生じてきます。

 

 ポジティブ思考はさまざまな条件によって制約されている、持続しないものでありながらも、この思考法を自己啓発書やスピリチュアルの書物を通して学ぶと、「自分は可能な限りいつもポジティブでいなくてはならない」という自分自身に対する精神的圧力をかけてしまう、ということです。

 

 ポジティブな心がポジティブな状況を生むということである以上、「ネガティブな思い」については、非常に警戒しなくてはなりません。心のうちから、文句や愚痴、暗い思いが湧いてきたときは、「あ、ダメダメ。こんな悪い思いを持っていてはいけない」という圧力をかけて、この思いを「押し殺す」ことになります。

 

 つまり、実際的・実践的には私たちのポジティブ思考は断続的・断片的であり、ネガティブがかなり入り混じったものですが、「私は常にポジティブでなくてはならない」という精神的圧力が常にかかった状態になるのです。

 

 自分の心からネガティブな思いが自然と湧いてくる状況に出会ったとき、その思いを自動的に無意識のうちに「抑圧」するようになります。少なくとも、そうしたネガティブな思いから、「可能な限り目をそらす」ことになります。「ネガティブを見つめていて、それに染まってしまってはいけない。悪いことが起こってしまう」という「圧」がかかっているからです。

 

 自分が可能な限りの力を注いである仕事をしたとき、その結果がよくないものだったとしましょう。そういうときは、だれでも落胆と失望、暗く苦い思いを味わいます。これは人間としての自然な心のリアクションであって、心がネガティブな状況に対応するために、こうした思いを出すことで防衛しているわけです。体が健康になるためにウイルスを排出するようなもので、このような暗い感情を味わうことは、心理的健康には欠かすことができません。

 

 しかし、「ポジティブ思考法」を学んでいると、ここに奇妙な「抑圧」がかかってしまいます。つまり、心の自然な防衛反応としてのネガティブな感情が「ポジティブ思考」のロジックによって抑圧されて、無意識のうちに「認めてはならないもの」として扱われてしまうのです。

 

 自分の心から湧いてくるネガティブな感情をできるだけ見ないようにし、認めないようにし、これを振り払って、「意志の力」でポジティブに徹しようとします。

 

 すると、ここで本人の自我によって拒否されたネガティブな感情は、どこに行くのでしょうか。

 

 それは、「本人の無意識の領域」に抑圧されて放り込まれることになります。

 

 自分自身で抑圧した感情として、無意識という広大な情報フィールドにネガティブ感情は次々にしまいこまれます。

 

 これが一度や二度なら、なんということもないでしょう。

 

 しかし、「ポジティブ思考」を身に着けた人が、習慣的に長期に渡ってこうした「抑圧」を繰り返した場合には、無意識のフィールドには本人には自覚されないような「ネガティブ感情」が蓄積し続けることになります。それは制御不可能なほどの、恐ろしい情報量にまで達することがありえます。

 

 無意識のなかに蓄積したネガティブ感情は、そのままでいることはありません。「放出」されることを願って、そこでマグマのように燃え続けるのです。

 

 つまり、こうした人の場合は、普段意識している顕在意識の領域では周囲の人が認めるほどポジティブかもしれませんが、無意識の領域ではそれとは正反対のネガティブ感情の爆弾をかかえている、という状況になります。

 

 その爆弾がどう爆発するかは、人によって違いがあるでしょう。

 

 ある人は、ある日突然虚脱感に襲われて体が重くなり、無気力状態に陥って、仕事も退職してしまいます。

 

 別の人は、家族や親しい友人などに、隠れたところで怒りと憎しみを爆発させ、暴力をふるうようになります。

 

 別の人は、朝起きることもできなくなり、医者からうつ病だと診断されます。

 

 これらは、結局のところ本人が意識できるレベルが問題なのではなく、無意識のフィールドに蓄積されたネガティブ感情が放出されないまま蓄積しすぎて、限界点に達してしまったということです。

 

 つまり、「ポジティブ思考」は、それがあまりに表面的に理解されるなら、「ネガティブ思考」の抑圧を伴う限りにおいて、無意識の領域にネガティブ感情の巨大な爆弾を抱え込みやすくなるものなのです。これが、「ポジティブ思考」に関わる根本問題です。

 

 人間はポジティブでだけいられるほど、強くはありません。しかし、「常にポジティブでいなくてはならない」という精神的圧力を自己啓発書から学んでしまうことで、かえって「ネガティブの無意識への蓄積」という課題を負うことになってしまうのです。やがてその「爆弾」は、本人に清算することを求めてきます。「ネガティブ感情の解消」をしない限り、一歩も前へ進めない、という事態にも立ち至るようになるのです。

 

 一方、確かに私たちはポジティブな心を抱かなければ、人生がよりよくされない、ということも真理です。つまり、ここに大きなパラドクスがあるのです。

 

 ポジティブになろうとすると、ネガティブを抱え込む。ポジティブにならないなら、状況もなかなか変わらない。

 

 

 一体、こうしたジレンマをどう解決すればいいのでしょうか。