孤独を癒し、孤独を活かすための7章

               齋藤 真行

 

1 なぜ孤独感を覚えるのか

 

2 「他者との差異」が生む孤独感

 

3 能動的に孤独と付き合う

 

4 「自分のテーマ」を持つ

 

5 「自分の幸福基準」を持つ

 

6 「恋愛・結婚」に孤独の解決を求めない

 

7 「健全な楽しみ」を取捨選択する

 

 

 

 

 

 

 

1 なぜ孤独感を覚えるのか

 

 「孤独」とはなんでしょうか。

 

 一般的には、「近いところに他者がいない」ことだと思われています。「一人ぼっち」のことである、と。

 

 しかし、家族と暮らしていても孤独を覚えることはあります。

 

 友人に囲まれて、客観的には充実して活動しているように見えるときも、孤独感が心に満ちていることがあります。

 

 逆に、公園で一人、のんびり風景を眺めている高齢者が、安らかに「ちっとも寂しくないな」と語ることもあります。

 

 一人で新しい研究に没頭している研究者、密室で作曲に熱中している音楽家、アトリエで絵を描くことに集中している画家は、孤独を感じるどころか、作業をするなかでむしろ深い充実感を覚えているでしょう。

 

 こうした一人ひとりのことを思い浮かべると、「周囲に他者がいる・いない」ことが、必ずしも孤独感を覚える原因ではないことがわかります。

 

 他者がいても孤独を覚えることがあるし、他者がいなくても孤独感がないときがあるのです。

 

 つまり、「自分は孤独でとても不幸だ」と感じるときに問題になっているのは、「孤独」というよりも、「孤独感」である、と言えそうです。

 

 周囲に他者がいるかどうかが問題であるのではなく、「どういう状況であろうと、主観的に自分が孤独を感じるかどうか」が問題ということです。

 

 「孤独は雑踏のなかにある」と、三木清という哲学者は言いました。大勢の他者に囲まれながらも、孤独感にさいなまれることがあります。

 

 「リーダーや成功者は孤独である」とも言われます。大勢のフォロワーに囲まれている人であっても、非常に強い孤独感を覚えていることがあります。

 

 このことを考えても、課題となる「孤独」は非常に主観的なものであり、客観的な状況として近くに人がいるかどうか、ということとは必ずしも関係ない、ということです。

 

 それでは、周囲に他者がいる、いないにかかわらず心に強く迫ってくる「孤独感」は、どこに原因があるのでしょうか。どこからこうした感情が湧き起こってくるのでしょうか。

 

 「孤独感」の対義語はなにか、と考えてみると、それは「一体感」といえるのではないか、と思います。

 

 私たちは「一体感」を感じながら、同時に「孤独感」をも感じる、ということは不可能です。

 

 一体感があるところでは、孤独感は消え去り、一体感が消えるところで、孤独感が湧いてくるのです。

 

 それでは、私たちが一体感を覚える状況とは、どのようなものでしょうか。

 

 たとえば、お祭りでお神輿をかついでいるときは、一体感があるでしょう。

 

 ロック・バンドのライブに行って、みなで騒いでいるときも、一体感があります。

 

 恋人と親しく、喫茶店で会話しているときも、一体感があります。

 

 パソコンに向かっておもしろい作業に没頭しているときも、一体感があります。

 

 これらすべてに共通しているのは、そこに「感情の共鳴」が起こっている、ということです。

 

 「周囲のなんらかの事象」と私たちの間に、「感情の共鳴」が起こるとき、そこに「一体感」が生じてきます。

 

 逆に、客観的にどんな働き、作業をしているときでも、そこに「感情の共鳴」がないなら、「一体感」はないのではないでしょうか。

 

 「肩が痛いし、つまらないからやめたい」という気持ちでお神輿をかつぐ。

 

 「早く帰りたい」と思いながら、ライブをぼんやり見ている。

 

 「こんな人とは別れたい」と思いながら、恋人と無言で同席している。

 

 嫌々ながらのやっつけ仕事をしている。

 

 こういうときは、多かれ少なかれ、孤独感をおぼえるでしょう。

 

 どんな働きをしているときでも、どんな状況に置かれていても、そこで周囲の事象と「感情的に共鳴しているかどうか」ということが、孤独感の有無を決めている、といえそうです。

 

 たとえば「怒り」や「憎しみ」、「恨み」や「後悔」といったネガティブな感情が共鳴する場合でも、そこに「共鳴」が起これば、「孤独感」は消える、とも言えます。

 

 なにかに対してとても怒って、憤激している人同士は、その怒りの共鳴によって深くつながり、一体感を持つこともあります。共通の強大な敵を前にしたときの仲間のようなものです。

 

 また、感情が共鳴する対象は、「人間」でなくてはならない、ということもありません。帰宅したとき、犬が喜んで出迎えてくれて、犬をなでているだけで、こちらもうれしくなり、孤独感が消えることもあります。

 

 森の中を散歩しているとき、美しい木々を見つめていると、自然との感情の交流により、孤独感を覚えることはほとんどありません。

 

 とてもおもしろい本を没頭して読んでいるときも、本の言葉と感情が共鳴するため、孤独は感じません。

 

 このように、「孤独を覚える」ということにおいて問題なのは、「周囲の事象がどうであるのか。他者がいるのかいないのか」といったことではなく、「自分が周囲の事象に向き合うとき、感情的に共鳴しているのかどうか」ということです。

 

 

 このことを、もう少し掘り下げてみましょう。