目次 

 

1 他者言葉と人格

2 他者言葉と環境

3 他者言葉と成功

4 他者言葉と困難

5 他者言葉と信念

6 愛とは聞くこと、語ること

あとがき

 

 序

 この小論考は、あらゆる自己啓発哲学の祖と言われるジェームズ・アレンの『原因と結果の法則(as a man thinketh)』(サンマーク出版 2003年)の決定的な間違いを指摘して、なぜこれに代表される自己啓発書が実際にはほとんど機能しないのかを解き明かしています。

そして、そこからさらに踏み込んで、それでは人生が現実に変えられるにはどうすればいいのか、その根本的な原理について考察したものです。

 私自身、自己啓発書をおもしろがって読んだ時期がありました。どの本を読んでも、書いてあることは皆同じでした。すべての自己啓発書は前掲のアレンの書いた本のさまざまなバリエーションに過ぎないのです。そして、読んでいるときはそれなりにおもしろくても、読んだ後には人生になんの変化も生じませんでした。ある一時期には、真剣に自己啓発書の哲学を実践してみたこともありますが、なんの効果もなく、なんの意味もありませんでした。すべてが空虚なお金と時間の無駄遣いに過ぎませんでした。

 洗礼を受けてキリスト者となり、献身して牧師となって歩むなかで、この哲学と改めて対峙することになりました。キリスト教会のなかにこの考え方が入って来ている現象が見られたからです。改めてこうしたものを批判的に読み直すなかで、「なぜ、この自己啓発哲学は機能しないのか」ということを考えるよい機会となりました。そして、突き詰めて考察して行くなかで、有益な結論が与えられました。この結論を展開したのが本書になります。

 この小論考は、ジェームズ・アレンの『原因と結果の法則』に代表される自己啓発哲学の最も重大な欠点を指摘して、また同時にそこに記されている部分的な真理を素材として活かしながら、「人生が変わるとはどういうことか。どうすればいいのか」という万人が知りたい真理について、追求したものになります。

自己啓発書の根本的な欠点について考えたい方、人生を本当に変えたいと願っている方のお役に立てますならば、これに勝る幸いはありません。

 

2014年5月

齋藤真行

 

 

 

 

1 他者言葉と人格

 

 自己啓発書の中心的主張

 自己啓発哲学の最も代表的な主張は、「人は自分が考えているような人間になる。その人の思いが、その人生を造るのだ。だから自分で自分の思いをコントロールして、多くのよい考えを抱くようにすれば、人生は変わる」という主張です。

自分で自分をコントロールし、よい考えを抱くようにする。それがよい行動を生む。よい行動がよい結果を生む。よい結果が、よい人生を生む。

 実に、自己啓発哲学とは、これだけのことなのです。これだけのことを、手を変え品を変えて主張しているに過ぎないのです。

 そして、このことにも真理契機があることを認めるのにやぶさかではありません。よい思いがよい行動、結果、人生を生む。これは真理です。「思考は現実化する(ナポレオン・ヒル)」これはごく当たり前のことです。ジェームズ・アレンはそれを的確に要約しています。

 

「心は、創造の達人です。そして、私たちは心であり、思いという道具をもちいて自分の人生を形づくり、そのなかで、さまざまな喜びを、また悲しみを、みずから生み出しています。私たちは心の中で考えたとおりの人間になります。私たちを取りまく環境は、真の私たち自身を映し出す鏡にほかなりません」(『原因と結果の法則』(サンマーク出版 2003)より)

 

 私達の抱く思いが、形を取るとき、行動となり、働きとなり、それが結果を生んで行く。こうした結果が積み重なって、私達をとりまく環境が形成されてくる。これはその通りとしか言いようがありません。よい考えを次々に抱くよい人格ができれば、そこからあらゆるよい結果が生まれ、よい人生になる。自明の理です。

 

 自己啓発書の誤り

 こうしたことが全部間違いだと言いたいわけではないのです。むしろ、この哲学の重大な欠陥だと指摘するのは、次のことです。つまり「私たちは自分の思い・考えを自分自身で自由かつ完全にコントロールすることができる」という大前提のもとに、この哲学はあるということです。この根本的な前提が大変な偽りなのです。

 真理はむしろこうです。「私たちは自分の思い・考えを自分自身ではほとんどコントロールできないか、もしくはごく部分的・短期的にしかコントロールできない」

 現実がこのようであるにもかかわらず、自己啓発哲学は間違った前提のもとにあるので、いくら一生懸命実践したとしてもほとんど意味をなさず、人生を変えることもないのです。

 現実を検証してみましょう。

 自己啓発哲学は、「清らかな思い、高潔な思いだけを抱けば、環境も変わり、人生はよくなる」と言います。これは当たり前です。こうした思いで現実に取り組めば、誰の人生でも変わるでしょう。

ところで、こうした「清らかな思い」や「高潔・崇高な思い」というのは、自分で自分の心に生み出して、維持して行くことができるものでしょうか?

 試みに、自分で自分の心にこうした思いを造り出せるかどうか、試してみてください。こうした思いだけを抱くことができるかどうか、1時間だけでもこうした思いだけに浸っていることができるかどうか、自分で試してみてください。

こうした思いを自分のうちに抱こうとしても、なかなかそうした思いが湧いてこない自分をすぐに見出すでしょう。仮にそうした思いが少し湧いてきても、別のことを考え始めると、それはすぐに消えてしまうものであることがわかるでしょう。なぜでしょうか。

それは、こうした「思い」というものは常に「言葉」に誘発されるもの、言葉によって引き起こされるもの、という性格を持っているからです。「思い」だけを抱こうとしても、不可能なのです。思いを生み出し、思いを心のうちにとどめる「言葉」の継続的な働きかけがなければ、思いなどすぐに煙のように消えて行くだけのものです。人間は「思い」だけを抱くことはできない存在なのです。言葉が思いを生み出し、言葉が思いを保持させ、成長させるのです。言葉こそが思いの原因であり、言葉なくしては思いは消えて行くだけなのです。

 

「自分言葉」と「他者言葉」

「思いだけでは無理。言葉が必要だ」と言うと、自己啓発哲学はすべて、「それは私達も主張していることです。私たちは、自分で自分に語り聞かせる言葉について語っているではありませんか。アファーメーション、深層自己説得などと言っていますが、自分で自分に言葉を語り聞かせて、思いを生みだし、維持するように教えているのです。言葉を紙に書いて壁に張っておけ、それを朝起きるごとに繰り返し読みなさい、カードに書いて持ち歩きなさい、といつも言っているではありませんか。自分の語る言葉が変われば人生が変わる、と前から主張しているではありませんか」と反論してきます。

 さて、ここで自己啓発哲学の欠点を考えるうえで、最も大切な問題にさしかかりました。「自分で自分に言葉を語る」という事柄についてです。これをとりえあず「自分言葉」と名付けましょう。

 「清らかな思い」、「崇高な思い」などを、自分で自分に語り聞かせる「自分言葉」によって維持・発展させることは可能なのでしょうか。

 「自分言葉」の特徴は、自分の内側での自分との対話、という形を取ります。自己内対話です。こうした自己内対話を繰り返すことで、人生が変わると自己啓発哲学はいうのです。

 自己内対話によって、自分の言葉が大きく変化するようなことがあるとするなら、それは自分の思いをも変え、行動をも変えて行くでしょう。やがて人生をも変えて行くでしょう。しかし、自己内対話によっては自分の言葉がほとんど変化しないとするなら、これは人生を変える方法としてまったくの無駄になります。

 自己内対話、「自分言葉」のことを考えるうえで、色水の入ったコップを想像してください。たとえば、絵具で色づけされた黄色のはいったコップ。このコップの水の色が、まったく違う色になるのは、どういうときでしょうか?

 黄色のコップの水に黄色を加えても色はまったく変化しません。せいぜい、濃度が濃くなる程度のもので、色そのものには変化はありません。かき混ぜたり、といったことをしても色は変わりません。

 コップの水が大きく変化し始めるのは、コップに違う色の水が加えられたときです。黄色に赤を加えると、オレンジに変化します。黄色に青を加えると、緑に変化します。決定的に色が変わるのは、異なる色を加えたときだけなのです。

 「自己内対話」「自分言葉」は、黄色に果てしなく黄色を加えて行くようなものです。基本的に自分の内側にある言葉は、共通した同じ性質のものです。その同質な言葉を自分の内で対話的に繰り返しても、言葉そのものは基本的に大きく変化する、ということはないのです。すべてが自分の内側にある同質的な言葉だからです。

 自分の言葉が大きく変化してくるのは、外側から異なる性格をもつ言葉が入って来たときだけです。「自分言葉」とは異質な、他者の言葉です。私の言葉とは基本的に性格や性質、意味、背景、規則性、タイプが異なっている言葉が、自分のうちに入って来るとき、私の言葉はその言葉と連合され、すり合わされ、新しい言葉の接触・触媒反応が生まれ、私の言葉が変化するのです。

 つまり、自分とは異質な「他者言葉」を聞くことによって、自分言葉、自己内対話は初めて変えられていくのです。外から、他者から与えられる言葉の「異質性」こそが、「自分言葉」を変化させる唯一のものなのです。

 こうして、自分とは異質な他者の言葉に触れて自分の言葉が変われば、自己内対話が変えられ、思いが変えられ、行動が変えられ、結果が変えられ、環境が変えられ、ついには人生が変えられます。


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